労働法改正の感想
*本年度から新しい労働基準法が施工されました。内容は各処から周知の事だと思います。政府は労働者の賃金上昇、不当企業からの労働者保護を目的に施工したと推測しますが、産業界、労働組合との折衝がほとんど行われず法改正してしまった事に対する付けがどのような形で表面化するのか、それをどのように解決するのかの政策を練っているのか疑問です。と言うか、これからどのような事が企業側、労働者側に起るのか考えていないのではないでしょうか。
当然賃金が上がる段階になれば経営者は対策を考えます。
労働者は賃金が上がる(と推測している)、休みが増えるとうれしい事でしょうが、大元のパイが変わらない現状でこの様な政策を採用する事は、しいては労働者側にその付けが回る事を理解していないようです。政府までもが、台湾特有の行き過ぎた民主主義を象徴しているかのような現象に陥ってしまったのでしょうか。
台湾は製造業で成り立っている国です。GDP比率でみると3割が製造業に当りますが、では残りのサービス業の比率がどれくらいその3割の製造業者に依存しているのか分かっているのかどうか疑問に思います。台湾は製造業者達+財閥に近い集団企業で成り立っている国です。根幹の部分にメスを入れた事になる訳ですが、どのくらい話し合いがもたれたのかその部分はしっかりとは耳に入って来ません。
台湾のサービス業の比率が先進国と比べまだ低いレベルにあるのは、規制に関する法律が古く、現在の世界とのサービス業に対する相場感と比例していない点だと思っています。また、教育に関する部分でも、道徳教育が行き届いていない部分もサービス業の真のサービスと言う観点を伸ばせない原因だと感じています。
国の成長は全ての根幹になる物が相まって邁進するものです。一部を変えたからと言って何も変わりません。
死に物狂いで働いている経営者、死に物狂いで愛するものを守ろうと必死になって働いている人々の近くで一緒になって働いて頂ければ、政治にとって何が不足しているのかを感じて頂けるのではないかと常々感じます。日本にも同じ事が言えますが。
昨年は政権交代を含め、政治の激動を見た年でした。
今年からは激動の政治経済を見る年になりそうです。
とばっちりが全て、弱者の企業経営者側に来ない事を切に願いながら。
と言う事で労働法が改善されましたので、皆様におかれましては就業規則の改正、出退勤管理、残業代、休日出勤管理、各段階で見直しが必要かと思われます。
分からない事が御座いましたらご相談ください。
2016年9月11日 産経BIZより
誰でもわかっている事ですが、基本の事が書かれています。ビジネスの基本的な事です。
ただの「お金持ち」で終わる“ダメな人 ” 一度沈めば戻ってこられない
人間関係を構築するうえで、成功者とそうでない人はどこがどう違うのか。それがわかれば、成功への道のりも見えてくるというものだ。世界中のVIP1000人以上に取材を重ねてきたジャーナリスト・谷本有香さんにお話を聞いた。
沈んだら戻れない利己的経営者の末路
まず最初に挙げられるのは、「自分の利益しか考えていない人」。基本的に人は、利他の精神で動く志の高い人を応援したいと感じます。そのため、いつまでたっても自分の利益ばかりを追いかけている人は、次第に誰からも支えられなくなり、「尊敬されるリーダー」でいられなくなるのです。
すると、事業が傾いたタイミングで、簡単にトップから引きずりおろされてしまいます。「ビジネスは浮き沈みが激しいものだ」と言われますが、浮いたり沈んだりするのは愛される成功者のみができること。周囲の引き立てがあるから、巻き返すことができるのです。利己的な人は、急浮上しても「沈んだまま戻ってこられない」ケースのほうが多いというのが私の実感です。
大金を稼ぐ、大企業の社長になるなど、「成功した」と世間から認められるのは実は意外と簡単です。
最近でいえば、太陽光発電関連の事業で「成功した人」がたくさんいましたし、私も何人も取材させていただきました。でも、2度同じ人に取材したことはほとんどありません。
つまり、利益追求しかしなかったせいで、数年のうちにみなさん沈んでしまったのです。急激に業績が上がって「成功者」ともてはやされた人は、トップとして人間的に成長するための時間が短いぶん、このような残念な結果に終わることが多いようです。
これは余談ですが、韓国、中国などアジア勢のトップたちも、「社会貢献」という建前より先に「暮らしを豊かにしたい」「大国に追いつきたい」という本音が見えがちです。国としてのステージの問題もありますが、彼らの中から「真の成功者」が輩出されるのは、もう少し先のことになりそうです。
もちろん、ある程度の出世欲や「自分の生活を豊かにしたい」という願望は、誰もが自然に抱くものです。それが原動力となって大きな成功を収められるのも確かなので、否定するつもりはありません。
しかし、世間から「成功者」と認められる立場になったのなら、一旦俗な欲望は昇華して、利益を追いかけるフェーズは終わったと思うべきです。そこから先は、自分の能力を使って社会をよくすることを考えていかなければならないフェーズです。まわりに支えられている自分に気づいて、恩返しをしなくてはならないのです。
慢心したトップはパーティに呼ばれない
そういう意味でいえば、「慢心」や「極端なプライドの高さ」もダメな人の特徴の一つ。彼らは鈍感で、成功者である自分の「肩書」に人が集まってきていることに気づかず、自分が人間的に「偉くなった」と勘違いしています。
そして、根拠のない万能感から人間的な魅力を磨くことをしないのです。すると、やはり事業が傾いたときには、その利益に集まっていた人たちは潮が引くようにサッといなくなってしまいます。もちろん、沈んだ状態から引き上げてくれる人もいません。
怖いのは、エグゼクティブの人脈は意外と狭いということです。たとえばみなさんもパーティに参加して、「前に別の会場でもお会いしましたね」と言葉を交わす顔見知りの同業者がいると思います。
それは、エグゼクティブの世界でも同じこと。出身校や起業前の勤め先など、エグゼクティブには共通項が多いため、その人脈の中で「あの人はプライドが高くて面倒だ」「お金ばかりで長期的なビジョンがない」などと噂されたら、いつの間にかパーティの輪から外されてしまいます。すると、当然ビジネスにも悪影響が出ます。
ビジネスマンである以上、企業の利益を追求するのは当然です。しかし、どこかで利己的な気持ちを捨てられないと、「成功者」ではなく、ただの「お金持ち」で終わってしまいます。
2016年8月28日 産経BIZより
Japan is cheap 物価も安いが、給料も安い
「Japan is cheap」
この言葉は、「日本は安い」という意味ですが、私の昔からの知り合いで著名な日本人の株式投資家の方がおっしゃっていたものです。
日本はここ20数年、企業などが国内で生み出す付加価値(売上高-仕入れ)の合計である名目GDPが全く伸びず、物価などが諸外国に比べてとても安いのです。
例えば、500円くらいでも日本ではそこそこ満足できる昼ご飯を食べられますが、欧米で5ドルや5ユーロ程度でまともな昼ご飯を食べられるということはまずありません。私は、今日夜からオーストラリアのシドニーに出張ですが、シドニーでは普通のレストランで昼ご飯を食べても2000円程度はします。まさに「Japan is cheap」です。
それに呼応して企業価値も長らく安く放置されている企業も少なくないというのです。
私はこの「Japan is cheap」というお話を聞いて、とても興味深かったのですが、その際に、優秀な人材もとても安いのではないかと考えました。
日本では、1億円以上取っている上場会社の経営者や役員が開示されていますが、その数は毎年500人程度です。一方、アメリカでは1億ドルを取る経営者もいます。ソフトバンクを最近辞めた副社長も150億円以上の報酬を得ていたことで話題になりました。
一流大卒3年目の平均サラリーはアメリカ1900万、日本は……
注目したいのは、こうした経営者層だけでなく、実は一般企業に勤める優秀なビジネスパーソンの給与も欧米に比べれば非常に安いということです。
私は、米国のビジネススクール(ダートマス大学タック経営大学院)を30年前に卒業し、今では同校のアジア地区のアドバイザリーボードのメンバーをしています。数年前に学校側からあった説明では、授業料が1年で7万ドル近くに上昇しているというのです。
2年制の大学院ですからその倍の学費がトータルでかかります。もちろんそれ以外にも生活費がかかりますから、卒業までには最低でも2000万円くらいの費用がかかります。多くの学生はローン(MBAローン)を組むなどして資金をねん出します。
しかし、無事卒業さえできれば、それはすぐに取り戻せるのです。実は、卒業生の卒業後3年目の平均サラリーは18万5千ドル(約1900万円)なのです。これは優秀な人だけの数字ではなく平均です。3年後でこのレベルですから、それ以降はもっと稼ぐ人ももちろん大勢います。中には億円単位で稼ぐ人も少なからず出てくるのです。
一方、日本では、一流大学を優秀な成績で卒業し、一流企業に入り順調に出世して部長レベルにまで出なって、ようやく先ほどのビジネススクール卒業後3年目程度の給与です。それも、かなり給与の良い会社ではないでしょうか。
そういう意味で、日本の人材は、とても「安く」雇えると私は思っています。
他国の一流のビジネスマンよりも「安く雇われている」
もちろん、先に説明した名目GDPの6割程度が働く人に分配されていることを考えれば、GDPが伸びないので、20数年間給与が伸びていないというのはマクロ経済的には納得できる説明ですが、やはり、この状況では優秀な人材が海外に流出することが心配ですね。
それとも、日本企業に長く勤めている間に、世界レベルでは活躍できないようになっているから、他国の一流のビジネスマンよりも「安く」雇われるということなのでしょうか。
私はそうでないと信じていますし、実際にお会いする日本人ビジネスパーソンの中には本当に優秀な人たちが少なくありません。そういう状況では、彼ら、とくに若いビジネスパーソンは、外資に引き抜かれ、余計に日本企業が弱くなるのが心配です。
また、日本企業は、優秀な人材をとても安く雇用しているという認識が必要で、その人たちを活かし、もっと業績を上げようとすることが大切です。
いずれにしても、日本経済が成長しないのが一番の問題だと私は考えています。そのためにも、アベノミクスは金融緩和や財政出動のようなカンフル剤だけでなく、本物の「成長戦略」が必要なことは言うまでもありません。
2016年7月30日 大前研一著ニュースの視点より
外食業界の人手不足。ITにはビジネスチャンスも、日本の未来は厳しい。
日経新聞は18日、『外国人労働者、陰る日本の魅力』と題する記事を掲載しました。外国人労働者の「日本離れ」が静かに進んでいます。
単純労働者の受け入れを進めている台湾や韓国では、外国人労働者が増加する一方、日本は円安の影響もあり、賃金の優位性が薄れているとし、「日本に来るメリットがなくなっている」とする現場担当者の声を紹介しています。
根本的な問題として、国が外国人労働者を積極的に受け入れることについて態度を明確にしていません。
ただし、これまでの歴史を見ると、日本は「ウェルカムではない」国の代表と言ってもいいと思います。
アジア主要国の製造業ワーカーの平均賃金を見ると、日本が最も高く「2,373ドル/月」になっています。
日本につづくのは、ソウル:1,729ドル/月、シンガポール1,526ドル/月です。
日本は生活費が高いことを考慮すると、実際には賃金の差はほとんど感じられないというのが実態だと思います。
今、シンガポールでも台北でも人手が足りない状況になっていますが、日本でも外食の人手不足が深刻化しています。
日経新聞は18日、『外食の人手不足深刻、IT活用進む』と題する記事を掲載しました。
それによると、外食産業の人手不足は深刻で、2016年5月の有効求人倍率(パート含む)は外食など「接客・給仕」業が3.45倍と全職業平均の1.11倍を大きく上回る結果になっているとのことです。
逆に、営業や一般事務などは有効求人倍率で1倍を割り込んでいます。すなわち、いわゆる「3K」に近い職業では日本人の求人が集まらない状況になっているということです。
そうなると、外国人労働者にお願いしたいところですが、そのような職業は日本だけでなく世界中で人手不足になっているので日本にとっては厳しいところです。
老舗旅館・加賀屋が、食前の搬送に専用ロボットを使うということでニュースになっていましたが、飲食業界においては今の状況は「新しいビジネスチャンス」を狙えるタイミングとも言えます。
今、飲食業界では様々な新しいネットサービスが誕生しています。
・トレタ:予約台帳と顧客管理のクラウド型サービスを提供。予約・顧客管理、リアルタイムでネット予約を受け付ける
・ポケットメニュー:高級飲食店専門で予約から決済まで可能なアプリを提供
・米オープンテーブル:3万7000のお店が登録していて、空席状況を消費者に提供
・スタディスト:人材教育のクラウドツールを提供。写真や動画を組み合わせてマニュアルを作成。給仕/接客、調理方法を教える。
人手不足のため、素人でも仕事ができるようにする必要性が高まり、そこにネットサービスが入り込む余地が生まれています。
日本では人手不足は、今後さらに深刻化していくのは間違いありません。年々、労働者人口は減少しています。
移民を受け入れずにやっていくには、かなりサービスレベルを落とさざるを得ないでしょう。
高級ホテルでも、接客・給仕の一部分を自分自身でやる必要が出てくるかも知れません。
あるいは、ハウステンボスのように受付からロボットが対応するのかも知れません。移民を受け入れないのならば、そういう未来が待っています。
都心に相次ぐ高級ホテル。高価格設定は、受け入れられるか。
ホテル運営の星野リゾートは20日、オフィス街の東京・大手町に旅館「星のや東京」を開業しました。
1階で靴を脱いで上がるなど、伝統的な日本旅館を現代風にアレンジした内装で料金は1泊1室7万8千円からということです。
食事を含まずにこの高額な料金設定で、果たして近隣のパレスホテルなどに比べて優位に立てるのか、正直疑問です。
1階で靴を脱がせるというのも、外国人にとっては馴染みが薄く、どのように受け止められるのか懸念してしまいます。
ビーチリゾートならまだしも、東京のど真ん中で、このコンセプトが通じるでしょうか。日本人なら靴を脱ぐことにさほど抵抗はないと思います。
今の予約状況を見ると、外国人よりも日本人のほうが多いとのことですし、地方から来るエグゼクティブを狙っていくつもりなのでしょう。
ただ、1泊7万円以上の料金設定だと、よほどの人でなければ使わないでしょう。なかなか普通の会社には受け入れられないでしょうから、どういう層を狙っていくのかあらためて考えたほうが良いかも知れません。
もう1つ高級ホテルといえば、「ザ・プリンスギャラリー東京紀尾井町」が、27日に開業します。
ここは「赤プリ」の愛称で親しまれたグランドプリンスホテル赤坂の跡地に建設中の新ホテルです。海外の富裕層などを取り込む狙いで、1泊6万円~59万円とこちらも強気の価格設定をしています。
2016年6月15日
「舛添都知事の謝罪」に見るビジネスに於いての謝罪の意義 経済プレミアより
公私混同問題で説明責任と謝罪を求められている舛添要一東京都知事は、うまく謝罪ができているといえるでしょうか。思いは伝わっているでしょうか。
仕事でも私生活でも、人生に「謝罪」はつきもの。間違いや失敗はだれにでもあり、大切なのはそのときどう謝罪するかです。これを間違えると、謝罪が謝罪にならず、かえって不信感を与えることになったり、怒りを増幅させたりします。
謝罪のなかには、自分は悪くはないが事情があって謝らなければいけない場合もあります。こうした場合の謝罪はさておき、明らかに過ちや失敗があって傷つけたり損害を与えたりした場合の謝罪は、相手に納得してもらうことでその目的が達成されます。
記者会見の冒頭で謝罪し、頭を下げる舛添要一・東京都知事(右)=2016年6月6日、丸山博撮影このことを大前提として、謝罪のポイントを具体的に考えてみます。
なにより、率直に謝ることです。少しでも言い訳がましいことを言ったり、自分を正当化したりすることは、マイナスになります。
舛添知事は、疑惑が世間で問題になったあとの会見でまずこう言いました。
「今回の報道によりまして、都民の皆様にご迷惑、ご心配をおかけし、また大変不愉快な思いをさせましたことにつきまして、重ねて心からおわびを申し上げます」
率直にわびている姿勢がうかがえます。
おわびに加え、事実を明らかにすることがポイント
謝罪の次のポイントは、おわびの言葉と同時に、間違いや失敗の事実を明らかにすることです。
今回の問題では、「今回、このようなご懸念をいただいていることにつきましては、誠に不徳の致すところと恐縮しているところでございます」と、「疑惑を招いたこと」について、過剰な敬語を用いてわびています。
舛添要一・東京都知事の別荘。毎週、公用車で通っていたことで批判を浴びた=神奈川県湯河原町で2016年4月29日、水本圭亮撮影しかし、間違いや失敗の事実については、明らかにしていません。これについては、第三者である法律の専門家に精査してもらうという言い方をしています。一般にビジネス社会での謝罪ではありえないことです。
謝罪では、間違いや失敗の原因は何であったのか明らかにすることが求められます。舛添知事の場合は、謝る原因となる事実がはっきりしないので原因などわかるわけはありません。
謝罪の最後のポイントは、間違いや失敗についての責任の所在を明らかにし、再発の防止策について明らかにすることです。
この点については、舛添知事は都議会で、「海外出張につきましては、航空機のファーストクラス、宿泊施設のいわゆるスイートルームは使用しない」などといくつか具体的な方策を示しました。
全体を振り返ると、謝罪のポイントである、「謝罪−事実の公表−原因の追究と公表−責任の所在の公表−対応策の公表」という流れのなかで、肝心な真ん中の部分が後回しになっています。
「なんとか逃れたいという思い」が伝わる結果に
その「事実の公表」に関して舛添知事は、弁護士に依頼していた調査結果を6月6日になって公表しました。複数の支出は「不適切」と認定されましたが、「違法性はない」という結論でした。ですが、その結果にも、「納得がいかない」という反応が大半のようです。
謝罪の基本は、本当に申し訳ないと思っているかが伝わるかどうかです。必死で働き稼いだなかから税金を納めている多くの都民のことを思いやり、自らの公費についての疑惑を反省すれば、心から申し訳ないという気持ちが表れてくるのが当然でしょう。
しかし、実際はそうなっていないのは、都民をはじめ世論の反応をみれば明らかです。事実の公表が大切であると同時に誠意が大切だという両方の点について、舛添氏の謝罪は謝罪になっていないようです。皮肉なことに、一連の言葉は、悪かったという気持ちより、なんとか逃れたいという思いがとても強く伝わってしまったわけです。
2016年3月27日
鴻海のスピード感、経営創業者のパワーとサラリーマン社長の雲泥の差を感じる
2016年3月12日
挑戦を続け結果を残す人は失敗をどう捉えているのか JBpressより
「あ~ヤバい!ヤバい!」 お会いするたびにそうやって悩んでいる若手社長がいる。 私は公認会計士・税理士・心理カウンセラーとして企業の経営相談を受けており、この方もご相談者の1人である。 「今回はどうされました?」と聞くと、何に悩んでいるのかを熱を込めて話してくださる。 「今度新しく採用したマネージャーが現場の人間と喧嘩しちゃって、現場の人間が辞めるって言い出したんです」 「新しくオープンさせたお店のオペレーションが回ってなくて、人手不足の状況なんです」
会うたび悩みが違う
様々な悩みが次から次へと生じている。私はこの社長を見ていて、いつも感心する。それは毎度毎度悩みの内容が違うのである。お会いするたびに新たな悩みを抱えて、「あ~ヤバい!」と呟いている。以前抱えていた悩みは解決し、新たな悩みを抱えて走り回っている。この社長は次から次へと新たな挑戦をし、問題が生じ、悩み、なんとかその問題を解決し、そして更なる挑戦をする。もがいてもがいて、それでも挑戦を続けるのである。 挑戦には失敗はつきものである。逆に言えば、失敗のリスクが高くないものは挑戦とは言えない。人は失敗が怖いため、なかなか挑戦することができない。なぜ失敗が怖いのか。それは挑戦したことがうまくいかないのが怖いのではなく、うまくいかないことに対してネガティブな意味づけをすることが怖いのである。人間は起きた出来事に対して意味づけをする。この意味づけは無意識のうちに行われるため、意味づけのプロセスに気づきにくい。
そのため、出来事自体が何らかの意味を持っているように思えるが、起きる出来事自体はそもそも何の意味も持たない。 何か出来事が起きると、良いことが起きた、悪いことが起きたと意味づけをし、付与した意味に応じた感情が生じる。 良い意味づけをすれば、嬉しい、楽しいといったポジティブな感情が生じ、悪い意味づけをすれば、悲しみ、怒りといったネガティブな感情が生じる。意味づけの傾向、それは人によって異なる。 次から次へと挑戦を続ける人は、豪快で、細かいことは気にしないというタイプの方が少なくない。しかし、先の若手社長は決してそういったタイプではない。
失敗と意味づけしない
その証拠に「ヤバい!ヤバい!」と言って頭を抱えている。にもかかわらず、なぜ彼はそこまで挑戦し続けることができるのか。それは、うまくいかないことに対する意味づけの仕方にあると私は感じている。彼はうまくいかなかったことを「失敗」と意味づけしていない。 確かに現場ではいろいろな問題が起き、現場が回らなくなり、撤退を余儀なくされた事業もあり、その結果、相当な資金を失っている。普通の人ならそういった出来事を「失敗」と意味づけし、失った資金の大きさを思って落胆するだろう。
しかし、彼はそれを失敗と捉えていない。
むしろ、そのことについて話す時には、彼はにこにこして「いや~、大変な思いをしましたけど、いろいろ分かりましたよ!」と嬉しそうに話す。 うまくいかないことを経験して、うまくいかなかった理由を分析し、うまくいくためのコツを少しずつ身につけていく。その結果、彼は着実にビジネスを軌道に乗せている。PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)という言葉がある。これは命の安全が脅かされるような出来事、戦争、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることが原因で、心の傷(トラウマ)を負い、生活機能の障害をもたらすストレス障害のことを言う。PTSDは危機的な経験によって心にネガティブな影響が及ぶことを言うが、逆に、危機的な経験によって心の成長をもたらすケースがある。これをPTG(Post Traumatic Growth)という。 米・ノースカロライナ大学教授:リチャード・テデスキ氏は、人生における危機的な経験をするなかで、そこから成長を遂げている人々の調査を行っており、PTGを「危機的な出来事や困難な経験との精神的なもがき・闘いの結果生ずる、ポジティブな心理的変容の体験」と定義している。 同氏は研究の結果、危機的な経験をすることで、主に下記の5つの成長を経験した人たちがいることが分かったと述べている。
危機から生まれる成長
(1)他者との関係:より深く、意味のある人間関係を体験する。
(2)精神性的変容:存在や霊性への意識が高まる。
(3)人生に対する感謝:生に対しての感謝の念が増える。
(4)新たな可能性:人生や仕事への優先順位が変わる。
(5)人間としての強さ:自己の強さの認識が増す。
先の若手社長も様々な困難を経験し、精神的なもがき・闘いの結果、心理的変容を遂げ、事業を軌道に乗せている。特に、彼の口からよく聞くのは「人間のことが良く分かった」ということである。 これは人間関係に対して、彼の中で心理的変容が起きていることを意味する。経営やビジネスにおいてうまくいかないという経験は、命を脅かされるような危機的経験ではない。 しかし、深く悩み、苦しみ、もがいたという経験がそこには存在する。そのため、彼が挑戦を続け、困難を経験し、そこから成長を遂げているこの事例も私はPTGの一種だと感じている。
そもそも「失敗」とは何なのだろうか。
それはつまりは起きた出来事に対する1つの意味付けのパターンに過ぎない。うまくいかなかった出来事を「失敗」と意味づけすれば、落胆し、モチベーションを失い、パフォーマンスも下がるだろう。 しかし、今後の人生において必要な学びをするための経験と意味づけすれば、落胆することもモチベーションを失うこともなく、その経験から得た学びを生かしてパフォーマンスを上げることすらできるだろう。 成功する人と失敗する人、両者の違いは起きた出来事に対する意味づけがほんの少し違うだけなのかもしれない。 そのほんの少しの意味づけの違いが、その後の行動に大きく影響をもたらし、その積み重ねが成功する人、失敗する人といった状況の違いを生んでいるのだろう。
エジソンは電灯のフィラメントに相応しい素材を探すため6000種類もの材料を試した。しかし彼はその実験の過程についてこう言っている。
エジソン、松下幸之助の言葉
「私は今まで失敗したことはありません。数多くのフィラメントに相応しくない素材を見つけてきたのです」
また、松下幸之助氏はこんな言葉を遺している。
「失敗したところでやめてしまうから失敗になる。成功するところまで続ければそれは成功になる」
人それぞれ物事がうまくいかなかった時の意味づけの仕方は違う。そして、何を失敗と捉えるかも違う。
今、ご自身が何か挑戦したいことがあるのであれば、何かがうまくいかなかったことに対するご自身の意味付けの仕方を把握されるといいだろう。その意味づけの仕方を見直し、「失敗」とは何かということと向き合ってみることで、挑戦に対する新たな勇気が生まれてくるかもしれない。
2016年3月12日
「5日で日本が敗北」を中国、台湾はどう報じたか JBpressより
以前のコラム(「衝撃のシミュレーション『中国は5日で日本に勝利』」 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/45849)で、ランド研究所のシラパク氏と外交専門誌「フォーリンポリシー(FP)」の記者らが行った尖閣諸島をめぐる日中紛争のシミュレーションを紹介しました。
シミュレーションによると日本は5日で尖閣諸島を奪取され、シラパク氏は「米国は尖閣問題に関わるべきではない」と結論づけていました。これは中国や台湾でも議論になったようです。
台湾独立派の新聞は「最後に日本が反撃」に注目
まず、台湾独立派の大手新聞「自由時報」の報道です。1月28日の自由時報は、「米国シンクタンク:『中国はわずか5日で釣魚台を攻め取るも、割に合わない勝利に』」とのタイトルで、筆者のコラムの概要を紹介しました。
同記事はシラパク氏について、「ランド研究所におけるベテランのウォーゲームの専門家」として評価し、シラパク氏が去年9月に「米中軍事力スコアカード」という430ページにわたる報告書の編著に携わったこと、その報告書が「2年後にアジア太平洋地域に戦争が発生した場合、米国は中国に勝利するであろう」と結論づけていたことを紹介しています。
そして記事は最後の部分で「(シミュレーションの結論は)日本は必ずアジア諸国と連携して反撃するであろう」との見出しを掲げ、シラパク氏による「米国は尖閣を無視するべき」という主張や、筆者の「最悪の可能性を直視して対策を実行すべき」との提言を紹介して終わっています。
自由時報は、シラパク氏がランド研究所の「米中軍事力スコアカード」の著者の1人であることから、その分析に信頼を置いていることが読み取れます。その上で「中国が尖閣諸島を奪い取ったとしても、その結果、日本がアジア諸国との軍事的な連携を強化し反撃に転じる」との分析結果にかなり注目しているようです。
この背景には、短距離弾道ミサイルだけでも1200発が台湾を狙っているという現実への認識、そして、台湾軍はそうした飽和攻撃を受けても継戦能力を維持するべく、「沱江」級コルベット艦の投入等に象徴されるように、日本よりも進んだ対A2/ADへの努力や改革を継続していることへの自信があるものと思われます。
中国側は「米国の偏ったシミュレーション」と反論
次はシンガポール最大の華字紙「星洲日報」です。星洲日報は、ハリス太平洋軍司令官による尖閣防衛宣言を紹介した上で、筆者のコラムを取り上げ、内容を要約して紹介しました。
そして、人民解放軍の李杰海軍少将に以下のようなコメントをさせています。
「このシミュレーションには、米政府の魂胆がある。故意に中国脅威論を喧伝する一方で、日本人に不断の軍拡、集団的自衛権容認、憲法改正を実行せねばと仕向けるものだ。そうしなければ、米国は短期間でこの厄介な事態を収拾することがまったくできないからである。
そもそも、釣魚島は米日軍事同盟に関わるものであり、もし失えば、米軍の『第一列島線』に大きな風穴が空くことになる。ゆえに米国が介入しないということはあり得ない」
李杰海軍少将は、海軍軍事学術研究所研究員で、解放軍報などで多数の論文を書いている著名な人物ですが、なかなか興味深いコメントでしょう。つまり、FPの記事は日本の軍拡を助長するための米国流の「三戦」であり、米軍は尖閣諸島の軍事的重要性に鑑みて必ず参戦してくる、油断してはならない、と言っているのです。
中国最大の軍事ニュースサイト「西陸網」も、シミュレーションの内容には米国人の偏見が表れているという記事を公開しました。
「中国が米国の民生目標をサイバー攻撃し、米国経済を破壊し、最終的には米空母がDF-21対艦弾道ミサイルにより撃沈されるという内容は、中国が米国をサイバー攻撃していると根拠もなく非難する最近の現状に一致している。対艦弾道ミサイルが脅威になるという批判も一方的だ」と書かれています。
日本ではシミュレーションの結果に対して「ランドが中国に買収された」との陰謀論が散見されましたが、台湾や中国側はまったく正反対の見方をしているというわけです。
そして、先月、シラパク氏はロシア軍は60時間以内にバルト三国を制圧可能であり、NATO軍は7個旅団を増強すべきとの提言書をランド報告書から共著で提出しましたが、これについて日本の一部と同様の反応はほとんど見られません。
シミュレーションで重要なのは極限状態の想定
日本のメディアや識者、台湾独立派の新聞、中国の専門家と、シミュレーションに対する反応はさまざまですが、ここで私たちが何よりも理解しておかなければならないのはシミュレーションの前提です。
この種の演習とは、政治家、軍人、官僚などに戦略的な極限状態を体験させ、その中でどのような戦争および外交指導ができるのか、どう行うべきかを検討するのが大きな目的です。
その目的からすれば、極限状態にいかにして至るかは、言ってみれば瑣事にすぎません。筆者の知る範囲では、10年以上前から米国の某シンクタンクで実施される複数の演習は、日本の右翼団体が尖閣諸島に上陸するものでした。しかし、それは実際に起こりうることとしては扱われていません。日米同盟が究極的に、現在の政治的・軍事的戦略環境において試される状況を再現するためには、そうしたシナリオが適切というだけの話なのです。
これは作戦演習なので少し違いますが、2009年に実施された日米共同実働演習「ヤマサクラ」は、朝鮮半島を出撃した敵対勢力が何個師団も北九州や山口県に大挙上陸したところからスタートしました。これも、日米軍の、特に地上戦力の連携を図るという「目的」から逆算して、そのために必要な「設定」を詰め込んだだけの話です。
ゆえにシミュレーションは、細部や設定の適否ではなく、その企図するところや彼らが下した評価をまず虚心に見つめるべきなのです。
最悪の「可能性」も直視せよ
FP誌の内容は、どこからどこまでが「設定」なのか、何人で実施したのかなどが不明であり、そういう意味では多くの疑問点があります。また、シラパク氏と記者2人中心によるものというのも事実のようです。
とはいえ、シラパク氏も関与した「米中軍事スコアカード」に代表されるランド研究所の過去の具体的な分析、この演習からの教訓から逆算した演習の目的から推察するに、中国のミサイル戦力やサイバー戦力に対する評価は基本的に正しいと思われます。その意味で、日本も台湾を見習って、中国のA2/AD戦力への対策を進めるべきでしょう。
日本には「滑走路が沢山あるので気にする必要はない」との説もありますが、果たしてそうでしょうか。
現状では純民間空港における弾薬の備蓄、燃料の補給体制、車両等による 移動体制等の有事転用の準備は整っていません。ゲリコマに対しても脆弱です。滑走路に異物を置かれれば飛べません。そもそも、那覇基地の滑走路が先に叩かれたら、どこにどうやって40機もの空自のF-15を移動させ発進させるのでしょうか。西方の空自基地の バンカーは不足していますし、弾薬は高蔵寺にほとんど集中しています。
そもそも航空機は、滑走路だけでなくパイロット、レーダー、燃料、弾薬、管制、通信、格納庫の機体、整備員のどれを叩かれても機能しない脆弱性を持っています。そして、地下化や警備強化等の対策は進んでいません。「滑走路」ばかりを日本各地や太平洋にいくつも建設し、その他の要素を軽視した結果、無残な結果に終わった旧日本軍の先例を忘れてはなりません。無論、滑走路が現状で日本中にあることはアドバンテージであり大事なことですが、それを生かす体制・装備がなければ何の意味もありません。
「最善の可能性」ばかりを見るのではなく、安全保障の鉄則である「最悪の可能性」の検証と備えが今こそ求められています。